九州あっちこっち紀行 その3
ゆっくりと阿蘇パノラマウェイをドライブしたら、あとは無心に100分ほど運転して山鹿市に入る。
阿蘇周辺は雰囲気のある景色が多かったが、だんだんと普通の景色になってきたような。
いまどきの幹線道路は、全国どこを走っても同じ店ばかりが並んでいてつまらないねー。
目指すは、山鹿市立博物館。
ここでは装飾古墳好きにとっては定番であるチブサン古墳の石室を見学させてくれるのだ。
この石室には、赤と黒で彩られた三角模様に、まるで目玉のような同心円が二つ描かれている、非常にインパクトのある装飾が施されている。
前から一度は見てみたいと思っていた古墳だった。
もっとも、石室内は一日に二回しか公開しないので注意が必要だ。
誰もいない博物館の展示物を見学しながら、公開時間を待つ。
予想はしていたが、公開時間になっても誰一人来なかった。
さて、博物館のかたが車で先導して、チブサン古墳の場所まで連れて行ってくれる。
人家もない山中にある古墳だが、意外と綺麗に整備されていた。
前方後円墳であるが、比較的その形が残っている。かってどのぐらいの大きさがあったのか、石が並べられて実物大で示してくれているのも嬉しい。
簡単な説明を受けながら、いよいよ石室の中へと。
しっかりとスチールの扉で二重に密閉されている。温度や湿度の変化、そして太陽光を遮断するためだ。
中は予想以上に狭い。
しゃがむどころか、四つん這いにならないと入れない。
しかも、すごい湿気だ。
もっとも、適度な湿度がないと装飾は劣化するため、これはこれで正しいのだが……こんなに湿気があるとはびっくりだ。やはり何事も経験してみないとわからないな。
温度の低いサウナ室のような石室をずりずりと中に入ると、小さなガラス窓の向こうに、お目当ての装飾が見える。
装飾のほうは思ったよりも小さい。
ただし、色は鮮明に残っていた。もっと劣化しているかと思っていた。
オカルトファンなら大好物の、三本角の王冠を被った白い人の絵もはっきりとわかった。
後ろで博物館のかたが見守る中、むーっと装飾を見つめ続ける。
チブサンというのは、昔、この装飾を見た人が乳房のようだからということで名付けられたそうだが、私にはどうも乳房には見えない。
人の顔というか、フクロウっぽい。
きっと、昔のオッパイ星人が名付けたのだろう。
なお、石室内の撮影は禁止。写真は古墳の脇にある模型。
実物がどんなものか興味あるかたは、山鹿市に行くか、ぐぐってみること。
博物館のかたの案内は、ここでおしまい。
近くにあるオブサン古墳の場所を聞いて、ここからは徒歩で移動するのだが、とにかくバッタがすごい。
草地を歩くと、蜘蛛の子を散らすようにバッタがあっちこっちに飛んで逃げていく。なんでこんなにバッタがいるんだ?
畑の脇をぽてぽてと歩いて行くと、またちょっとした公園のような場所に出る。
当然、誰一人いないんだけどね。
オブサン古墳のほうは装飾のほうは、ほとんど消えてしまっているので、チブサン古墳ほど厳重に保護はされていない。
ただ、古墳の形状はちょっと面白い。
円墳に二つの方形が、スフィンクスの腕みたいにくっついている。
沖縄の亀甲墓にも雰囲気が似ているかも。
でも、これって作られた当初からこんなだったのかな?
ちょっと疑問だな。
次は山鹿市立博物館のすぐ近くにある鍋田横穴である。
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